#7 孤高とも言える道


Oct 05_3

ここは新旧の道が交差するラッドロー(Ludlow)。カフェとガスステーションと営業してるか分からないモーテルがひとつあるだけ。個人的には真髄の入り口だ。


インターステートハイウェイI-40)のEXITナンバーは50番、再合流はこの先65マイルのEXIT115番。
アメリカの標識はある部分合理的で、EXITナンバーもそのひとつ。このナンバー実は州の西端から何マイル離れているかを教えている。
南北の場合は南からの距離になり、同じインターステートでも州を越えれば0に戻るというもの。
知らないで走ると、どれだけインターがあるのかと勘違いするし、州越えで??になるかもしれない。


これから先はインターステートから弓なりに離れていく区間。その距離はおよそ75マイル。インターステートよりも10マイル分南に弧を描いていることになる。


夏場は40℃を軽く超える灼熱の砂漠に今世紀的なものは何もない忘れ去られた道。それは土地を捨てた人間を拒む意志さえ感じるほど。
旧サンタフェ鉄道(BNSF)の並走だけが慰めだ。

1マイル北には黒い雨の壁。どうやらずっと嵐の境界線を走っている。
後から聞いた話ではこの日、ラスベガス発のグレイハウンドが運行を取り止めるほどの豪雨で視界が数メートルの状況だったそうだ。
最高とは言わないけど、おもしろい天気じゃないか。拒む道を押し通るにはなかなかの演出だよ。
でもインターステートと離れるほど空は明るくなってきた。さっきからずっと直線が続く。クルーズドコントロールで時速60マイル、すれ違う車は1台も無い。もう20分ぐらいアクセルもブレーキも操作してないかも。
しばらく走るとBNSFの軌道がすぐ近くになる。ここら辺はシベリア(Siberia)か。なんでまたシベリアなのかは全く分からない。この土地に名前が付いていることさえ理解できないというのに。

お目汚し恐縮だが、この状況をiPhoneで動画撮影しYouTubeにアップている。ルート66に並走するBNSFをご覧頂いた方が駄文で説明するより雰囲気を掴んでいただけるかもしれない。(音が出ます)

さらに6,7マイル進むと前のページで書いたバグダッド(Bagdad/イラクの首都 Baghdad とは綴りが違う)だ。
ここはかつてバグダッドカフェのモデルがあるほどの街だったらしいけど、信じられないほど何もない。
このゴーストタウンにもならない場所を少し調べてみた。

1880年代に旧サザンパシフィック鉄道の開業に伴って出来た鉄道の街。
1889に郵便局が開設され、水は毎日ニューベリースプリングスから10,000ガロンのタンク車で運ばれていたという。
1900から10年ほどは金鉱の出荷ポイントとして栄えるも1918の大火事で街にあるすべての木造建築を消失、金鉱も尽き、1923に郵便局閉鎖。
1940~50、ルート66の全盛に伴い車で旅する旅人の憩いの場所になっていく。
ここに実在したのが本家「Bagdad Cafe」。
いくつかのゲストキャビンとGASステーション、カフェにはジュークボックスとダンスフロアがある超人気店だった・・・。

もう一度書くけど、そんなこと信じられないよ。
人間の出来ることなんてこんなもんか。乾いた風で舞い上がる砂のように消えた街。そこにいた人たちに無性に会いたくて切なくなる。


今回は写真を何枚か貼ります。
僕の知っているルート66の中で、いちばん好きな75マイルの風景。
普段やらない自分撮りも、自然と残したくなる。きっと居心地の良い孤独感のせいだな。



このロードサインを踏むために  2010





人口数名、唯一人を感じる場所  2010





寂びている。錆びている。捨てられた風景。  2010





空しく美しい窓景  2010





やさしい大気  2010





この切ねえ感じわかる?  2011





ルート66 バーストー(Barstow)からエセックス(Essex)までの写真をFlickr にまとめています。
もしご興味がありましたらご覧ください。

~ Mother road ~  Route66 #1




Google マップで Route #7 を表示