自分と この旅のこと


はじめまして。
ご訪問ありがとうございます。

僕はnaora。
ふたりの父親をしています。
あまり実感はありませんが、振り返れば人生の半分を使い終わった、そんな年齢になりました。
この歳になると気持と身体にズレ(違和感)が生じていることに気付き始めます。
バッティングセンターでボールが全然当たらなかったり、バイクと人馬一体になれなかったり。
残りの人生を考えたら、心身ともにやりたいことが許されるのはあと30年もないかもしれない・・・。

僕がまだ少年のころ夢中になったTV番組がありました。
西海岸から入って最後はマンハッタンのパンナムビル。
大人たちが仕事を放っぽり出して見たこともない “地球の上” で遊んでた。
まるで子供みたいに。

「ここはアメリカというのか、いつか本物を見てみたい・・・」

この想いはその時から続いていて、関連する事柄を少しずつ吸収するようにもなりました。

グランドキャニオンやモニュメントバレーだけでは無いこと。
それらは特異な台地の上に散らばっていて、それぞれ関連し合っていること。
大部分が先住民族の土地である(あった)こと。
先住民族の遠い母と僕の遠い母は同じであること。
かつてその土地を横断する「マザーロード」と呼ばれた旅情あふれる道が在ったこと。

あの番組の影響で想いの初めからキーワードは「冒険」だったんです。
だから少年の頃からの旅のイメージはツアーバスではなく、漠然と自転車やバイクでの一人旅でした。
年齢を重ねる度に この「冒険」のハードルは高くなっていきます。
負けないように自分の中の存在も大きくなっていきました。

はじめて「アメリカ」に触れたのは2010年の11月。
グランドサークルを周る旅に出るという友人の車に同乗させてもらったのです。
この時見たグランドキャニオンの夕景は最後の日まで忘れることはありません。

次は独りで戻って来よう。
その次は家族を連れて来よう。
このとき自分の中に何か火のようなものが灯ったのを覚えています。

そして、1年を待たずに自分の旅に出ることにしました。

右側通行は前年に友人の車で少し経験しただけ。でも今回は2週間で4,000km弱を走る計画。
大都市もあれば40℃の砂漠も氷点下の山岳道もある。予定通りにいかないこともあるだろう。

こんな旅を計画出来るのは度胸があって、お金もあるんだろうと思われるかもしれません。
でもそれは人並みかな。むしろお金は人並みに達していないか。
高級なホテルや食事が目的では無いので、費用のほとんどはレンタカーとガス代でしたから。
いちばんのハードルは “お父さん” であるということ。
リスクはある。こんなことしてもいいのか?っていう自問がいつも過りました。
でも、僕の中にくすぶる少年がこの旅をしようと誘い続け、ついに行動させました。

僕はお節介です。
このサイトを始めたのは、先ずは自分のためですが、かつて少年だった日本のお父さんに同輩が馬鹿をやっている姿を見せたかったのです。
ある方には自慢や嫌味に映るかもしれません。でもこれは同じように少年だった僕から、日々、額に汗し家族のために頑張っている日本のお父さんへのささやかなお声掛けです。

アナタの少年はお元気ですか。



ラッドローの東、Route66 と並走するBNSFの軌道にて